If we do nothing, neither are we

もともと水陸両棲というのに憧れがある私、動物だったら両生類、恐竜だとモササウルス、ジョジョだとハイエロファント・グリーン、キン消しで一番大事にしていたのはアトランティス。学生の時の研究対象は海藻。アマゾンの半魚人という設定の時点で、「シェイプ・オブ・ウォーター」は間違いないこと決定だったのですが、いつものようになかなか観に行かず、上映館がなくなっていくギリギリのタイミングで映画館に。
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もう想像以上に素晴らしい映画。「美女と野獣」はなぜ最後に野獣を王子に戻らなきゃいかんのか?という思いで作った作品だそうですが、映画全編に流れる社会の中心から外れた(外れざるを得ない)人々への共感、そして多様性を持った社会への前向きなギジェルモ・デル・トーロのメッセージが全面的に打ち出されています。自閉症の子を持つ親という立場から逃れることが出来ない私ですが、それを横に置いていても心に沁みる映画です。

半魚人の救出チームの構成が絶妙です。ろう者、黒人、ゲイ、自分の組織へ疑念を抱く共産主義者。それぞれ疎外されているのになかなか結び付くことが出来ない社会的少数者。そこに加わる半魚人は異文化の象徴でもあるし、発達障害の人のようにも感じます。このメンバーを演じる俳優の演技がまた素晴らしい。オクタビア・スペンサーの軽妙なのに思慮深さを感じさせる演技も見事ですが、特に印象に残るのがおそらくはアルコールではなく性的少数者であるために職を失わざるを得なかったジャイルズ、そして組織と折り合いがつけられずに煩悶するディミトリ。

絵描きのジャイルズは主流となる社会に馴染んで生きていくことを諦めることが出来ない男。社会とのつながりを求め、無理な努力(まずいパイを買い続ける)を重ねる男。ハッピーではないと評され“Maybe later”と言われ続ける自身の作品。公民権運動のニュース(=現実)から逃避し、古き良き時代の映画にひきこもっているジャイルズの姿は社会の主流から疎外された人の姿の象徴なのでしょうが、もしかするとデル・トーロ自身を反映させた人物かもしれません。
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映画の中盤でエライザの申し出に心が動きながらも、ジェラルドは自分を押し殺して社会の主流に同化することを選ぶわけですね。“I have to go. Second chance to me. Nothing. We can do nothing.”と言って。しかし、どうしても元の会社から自分を受け入れてもらえない。さらに自分の絵(=ありのままの自分)を評価してくれると感じたパイ屋の兄ちゃんから拒絶され、さらに黒人夫婦が店から追い払われる様子を間近に見て、ジェラルドはここで変わる。ただ座して見ているだけでは駄目だと悟り、イライザと行動をともにすることを選び、半魚人との交流、特に猫の一件、を通して人として大きく成長していくわけです。

半魚人に直接触れられて「衛生上まずい」と言っていたジャイルズが、相手を「面白い男だ」と言い、お互いの頭を撫であうという友情にまで成長していく。この一連の流れは見どころだらけのこの映画の中でも屈指の場面です。「異文化との共存」というデル・トーロのメッセージが濃厚に凝縮されていて、濃厚な旨味にあふれています。
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「血が出ることもある」
「多少傷つくこともある」
「本能だから仕方がない」
「僕は大丈夫」
「そこに違いがあって当然」


私の父が羨みそうな髪の毛の件も、人はいくつになっても成長出来るというデル・トーロのメッセージですよね。


もう一人はディミトリことホフステトラー博士。ソ連のスパイでありながら、組織にも疑問を感じているディミトリは主流社会からも自分の共同体からもはみ出した存在。そんな疎外感を感じているディミトリには、航空宇宙センターの同僚には見えていない(いないも同然の)清掃員イライザやゼルダの姿が見えている。なので同僚とは違って、ゼルダの言葉遣いにも反応するし、すれ違う際にイライザと会釈もし、最終的にはお互いを理解しあうまでに至る。
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半魚人を実験体操としてでなく、美しい生物としてみているディミトリは組織の一員として流されていくことを拒み、自分自身の価値観に寄り添うことを選ぶわけですが、その選択には切り捨てられる立場の悲哀でなく、自分で道を切り開いていく喜び、自分で物事から学び取る喜びが表現されています。もちろんこれもデル・トーロのメッセージでしょ。ただ状況に流されていくだけの生き方でいいのかい?という。

I came to America to learn what I could, as a patriot yes,
but also as a scientist.
There is still much we can learn.


We don’t need to learn. We need Americans not to learn


そしてジャイルズやディミトリと対比的に描かれるストリックランド。成功の象徴を追い求め、半魚人をただ気持ち悪いものとしてのみ受け取る強迫観念の塊。妻と精神交感することもできない男。マイケル・シャノンの演技が展開を引き締めます。手の傷の悪化に向き合えない男には昨今の日本の状況を重ねてしまう私ですが、それは置いてきましょう。
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イライザやディミトリが見えているようで全く見えておらず、チープなキャディーに依存して「Power of positive thinking」を愛読するという男というのも、なかなか強烈な皮肉です。ロシア語を喋っていたというだけで発砲する単純さも含めて。異文化の存在とその価値を認める瞬間を人生の最後で迎えるストリックランドがそこで救われたのかどうかは理解が分かれそうですが、私としてはそもそも早い段階から本人は気が付いていたことではないかという気がしております。

イライザのシーンの色使いは本当にきれい。これは登場人物の中で一番自由であることを表現しているのかもしれません。イライザについては多くの言葉は不要ですね。ルールを変えて、流してしまえる逞しさ。帽子やショールで外の音を聴くイライザが半魚人の胸の音を聴くシーンも雨の粒で心の自由さを表現した場面もとても美しい。ガラス越しのぼやけた表現も。音楽や絵、ダンス、手話で境界を盛り超えるイライザと半魚人の交流の在り方にも強く共感しますね。
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これは私の好きなシーン。

チョコレート工場の火事やSurf & Turfのように意味がつかめていないものもあり、アマゾンの奥地で捕まった半魚人なのに生息するために水の中に塩分濃度が必要な点も納得できていないのですが、多分まだまだいろいろな部分を見落としているのでしょう。実は先週今週と機内上映でも2回観たのですが、いろいろ削除されているシーンがあり、逆にもやもやが膨れてしまっている私。DVDの発売を待つしかなさそうです発売されていたので先ほどポチリました。ということで、今年の№1はスリー・ビルボードかと思ったのですが、それを軽々と超えるこの映画。観ていない方は是非とも。
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by zhimuqing | 2018-06-05 23:28 | A Felicidade | Comments(0)
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