飄々とヒップでDIY

家族親戚の中で群を抜いてヒップだったシンヤ兄ちゃん。
人生のあり方において、私の理想像が現実となった姿でした。
願わくば、じっくり話す機会をもう少し持つことが出来ていたら、と。

シンヤ兄ちゃんはヒップである、ということは、
ヒップという言葉や概念を知らない子供の頃から、
はっきりと分かっていたのだ。

驚異的というか天才以外の何者でもないIQをたたき出して、
教育機関に付きまとわれていたこと。
本人は勉強することにほとんど興味がなかったらしいのだが。
(それでも成績は良かったらしいのだが)

子供のころから手先が異様に器用で、
お姉さんの家庭科の宿題を代わりにこなしていたのだが、
その出来が素晴らしいと評判になってしまい、お姉さんが困ってしまったこと

和歌山での高校生時代(70-73年)、小倉の祖母の家に帰省したのだが、
長髪でエレキギターを抱えた姿を見て、祖母は外人が家に来たと思ったこと。

西城秀樹等の衣装をデザインから縫製まで一手に引き受けていたこと。
そのことをテレビで紅白を見ている時に、この衣装だ!と親に教えてもらった時。
その衣装は風呂とトイレは共同の、4畳半の家賃2万円のぼろアパートで
作っていたらしいのだが。

その後、全盛期のメンズ・バツでデザイナーをしていて、
私もバツのパーカー等を貰ったりしたのだが、その価値をあまり知らず、
友人に説明すると、それはとても物凄いことだと、驚かれたこともあったな。

独身の頃は、休みになると、行方不明になっていること。
実は自作の自転車で渓流釣りをしていたらしいのだが。
もちろんフライ・フィッシング、フライや竿は当然手作り。

祖父の法事で披露したエイトマンの歌と振り付けは最高におかしかったし、
そのとき叩いていた祇園太鼓は実に上手かったこと。

20年以上前、祖母が亡くなった時、泣いている私たち兄弟を抱きしめつつ、
ここは病院で、他の部屋には病気と闘っている人がいるので、
ここで泣いていたら駄目だよ、と果てしなく優しい言葉で諭してくれたのだ。
アフリカでは、その人が亡くなっても、その人のことを覚えている人がいる限り、
その人は亡くなったことにならない。
だから、お互いおばあちゃんの思い出を大事にしておこう、とも。

高校~東京時代の親友の方が葬儀に参列していたので、
少し話をすることが出来たのが、とてもありがたかった。

高校2年(71年)の文化祭で演奏していた曲は、
ジミ・ヘンドリックスの「All Along the Watchtower(見張り搭からずっと)」。
昔から、なんとなくビートルズとかかな?と思っていたので、
個人的に、これは嬉しい驚きですね。
そうそう、71年にカバーするのだったら、やっぱりジミヘンでしょう!
「見張り搭」はディランよりもジミヘンの方がずっとかっこいいと言っていたそうだ。
素人のベースと掛け持ちのドラムをバックに、大音量で歪みまくったギターで
延々とソロを弾いていて、先生と生徒の大半は呆然としていたらしい。
まあ、当時の和歌山だからねぇ。
ちなみに翌年はアコギとハープでディランを一人で延々と歌ったらしいのだが。


和歌山の高校時代から、自分(とその仲間)の服を仕立て直していたらしいのだが、
髪型は流石に自分で切れないので、伯母に向こうのミュージシャンの写真を見せて
リクエスト通りに、無理矢理切らせていたらしい。
このあたりのエピソードはブラザGを髣髴させて、少し笑ってしまう。

卒業して上京後、本格的に衣装のデザインの仕事を始める。
私は西城秀樹とか野口五郎とかの話しか聞いたことがなかったので、
今回友人の方(同じアパートに住んでいた)に聞いて驚きましたね。
より深く交流があったのは、細野晴臣や小坂忠等のはっぴいえんど周辺だったそうで、
小坂忠のアルバムの衣装を手がけたりしていたそう。
お互いの家を行き来して、小坂亭でよくビリヤードをしていたらしい。
この辺の人は伯母や母には余り興味のない人達だったので、
私にはまったく伝わらなかった話ですね。
意外に関西方面のミュージシャンとも縁が深かったそうで、
山岸潤史なんかも上京時によく泊まりに来ていたそう。
みんな、大物すぎる!何というメンツ!

徹底した趣味人であり、とはいえ、冷静に研究、そして判断をする人だったらしい。
無駄にお金を使わず、基本的にDIYの人。
ピンポイントでズバッとお金をかけることもあったらしいのだが。
常人の趣味の域を簡単に(傍から見ると)超えていくのだが、
なのに、自慢めいたことは一切しない。
飄々としている春の心地よい風のような人。
私が子供のころから憧れたあんな境地にどうやったら届くのだろう?

結婚したのが遅かったので、二人の子供は中学生と小学生、
まだまだ小さいのが、なんとも心残りだったと思うのだ。
なにせ子供が大好きだった人で、私も随分可愛がられたものだ。
私が産まれた時に一番早く会いに来てくれた人でもある。
(ちなみに一番遅く来たのが実の父だったりするのだが、これはまた別の話)
本人の気持ちを察すると、なんともやりきれない。

でも、この二人が両親のいいところを着実に受け継いでいるのだな。
素直で、飄々としていて、実に気持ちの良い子供たち。
父親としても、実に素晴らしい人だったことが良く分かる。
心配して葬儀に行ったのだが、あの子達だったらきっと大丈夫。
大変なとき、困ったときはいつでも頼ってきて欲しいけど。
教育論についても、一度ゆっくり聞いてみたかったな。
本人は照れて、そんなもの何もないよ、と言っただろうけど。

ああ、もっと色々な話がしたかったよ。
聞きたいこと、話し合いたいこと、教えてもらいたいことは、
山ほどあったのに。
さびしいな。本当にさびしいね。
でも、いなくなってしまったわけではないんだよね。
いつかのアフリカの話、きちんとダイちゃんとカナちゃんに伝えたよ。
私もシンヤ兄ちゃんとの思い出、大切にします。
では、それじゃあ。
e0147206_8343424.jpg

[PR]
by zhimuqing | 2012-04-08 14:28 | Dawn 'n' Shine | Comments(1)
Commented at 2012-04-13 20:26 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
<< もう移住しようか? ついに来てもうた! >>