ストンと落ちるのが悔しい

ここ数日、夜の月が大変きれいなのだが、
今晩の月は物凄く美しく、外を歩いていると、
街灯等の人工的な光は本当に邪魔だな、と感じてしまうのであります。

さて震災後、ずっと読もうと持っていた高村薫の名著「神の火」、
通算何回目か、もう分からないけど、読み返してみましたよ。
やはり名作、今でも(だからこそ)新鮮な読み応えがありますね。
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何と言っても驚いた?のが、主人公の島田と気が付いたら、
私が同じ歳になっていたことでしょうか?
うーん、初めて読んだ時は、高塚良と同じ歳ぐらいだったと思うのだけど、

それ以上に、この本で描かれている原発の話が
腹にストンと落ちて来るようになってしまった今の日本の状況に
変わってしまっていることに、今更ながら驚くと共に、
心から残念だと思ってしまいますね。
なんといっても、良が原発に興味を抱くようになった心境が
より身近に感じてしまうというか。

まあ、そんな訳で、どうしても原発の話に引きつけられてしまいますが、
それとは別個に島田や日野、江口の人物の心象を描きっぷりに
改めて感服しました。
やはり大変飛距離の長い作品ですね。

先日高村薫は東京新聞に震災に関する記事を書いていて、
その内容も膝を打つものでしたが、
07年~09年のAERAの連載をまとめた「閑人生生」の内容も
なかなか良い。
08年9月の事故米事件に関するコメントは以下サンプリング。(p194)

それにしても、本当に重大な事件は往々にして小さな姿をして現れることや、
意図的に詳細が隠される場合があることを、久々に考えさせられた。
そういうとき、おかみが必ず持ち出すのは、
事実が多くの知るところになれば無用の混乱を招く、という理屈であるが、
それがほんとうに現実的な対処と言えるケースは、
たぶん地球上に巨大隕石がおちてくるときぐらいだろう。
多くは当事者たちの責任逃れと、対処の難しさを隠すための方便であり、
被害を少しでも減らそうとする人間的な意思は働かないのが、
国や行政というものだ。
かつての水俣病も、近年の血液製剤による薬害も、アスベスト被害も、
みなそうして拡大し、気がついたときには、助かるはずの命が多く失われてきた。


先日の牛肉の問題なんかも、きちんと事態が把握しようと動いていれば、
決して起こり得なかった問題と言える訳で、
結局歴史が繰り返しているのを、また見せられているというのが
なんとも残念というか、怒りを覚えるところです。
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実によくまとまった本で、大変勉強になる。
地球温暖化等、私と意見が異なるところももちろん何点かあります。
一番意見が違うのは、マイケルに関する意見の違いかな?(笑)
早いところ、震災以降の評論をまとめた本も出してほしい。

月が綺麗な夜に高村薫の小説を読むその時、
部屋でかけるべき音楽は、ナット・キング・コールに限るのでは?
研ぎ澄まされた精密機械の様な歌と演奏は美しいのだけど、
完璧すぎて逆に切れ味が良すぎるというか、
狂気をはらむ余地があるというか。
高村薫の小説の登場人物にピッタリの趣向だと思うのだけど、
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この盤は、中国で以前入手したものだけど、
ケースやブックレットが残っておらず、盤面だけ。
何故かスペイン語の曲2曲から始まる変なアルバム。
超有名曲も入っているけど、そのスペイン語曲が気に入っている私。
しかし、納琴高、このまま北京語読みされても、
多分誰もナット・キング・コールとは気付けまい。
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by zhimuqing | 2011-07-17 00:28 | Make Me Wanna Holler | Comments(2)
Commented by ごっぱち at 2011-07-19 19:37 x
「納琴高」 バンド名によいかも?

キサス・キサス・キサス♪
Commented by zhimuqing at 2011-07-21 23:40
>> ごっぱち兄さん

バンド名にするには、何読みにするかが課題となりそうです。
ノウキンコウ?ナーチンガオ?うーん。
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